不登校でも負けない ある高校生の思い出
<塾コース>
うちに不登校の高校生がいた。この子は高校2年になる時点で出席日数が足りず退学を選んだ。学校に呼び出されて退学届けにハンコを着いた日、母親は泣いた。実質、高校1年の6月から学校に行けなかった。つまりこの生徒は大学受験以前の高校の履修内容の補填をどうするかというレベルからの大学受験だった。だつてそうだろう!高校2年の教科書すらもらわずに学校をやめたんだから。
生徒はレインボーに小学生6年の時から中学3年夏まで在籍していた。中3の秋、数学クラスで成績別にクラス分けをした直後だった。理由も言わず突然辞めた。監督はそのタイミングの悪さか気になってこの生徒の事を忘れる事が出来なかった。
うちを辞めてから9か月ほどして不登校のことで親から相談を受けた。そして復学のためにありとあらゆる事をした。学校との交渉の指示や部活の部長に連絡をとったり、うちの生徒の中から仲のいい友達にあわせたり、本人とも何度も話をして抱えていた不安を解消する道筋を示した。信じられないだろうが親とのメールは300を超えた。高1の夏休み直前に復学した時は、朝、駅まで見送りに行ったり帰りは迎えまでした。しかし1週間とはもたなかった。そして再び監督の前から消えた。
レインボーランゲージハウス 3年間休まず通って生徒は大学を目指した。
高校をやめ通信か高卒認定かという選択肢しかない中、本人は一流大学進学を強く希望していることは知っていた。
「この思いをかなえてやりたい。だって教え子の人生に係わることだから。」 その思いが心に中で消えなかった。そこでクリスマスにカードを送った。ただ「元気にしているのか」とハンカチを添えて。すぐに「監督、私のことをずっと気にして下さって嬉しいです。」と返事がきた。「○○は今でも監督の大切な生徒なんだよ。元気でよかつた。」と返した。それから3ヶ月後、レインボーに復帰した。
それから浪人期も含め3年弱、毎日レインボーに通った。
高校の内容を教えながら大学受験のレベルをカバー出来るのか?限りなく可能性は0%にちかいと思っていたが英語はセンターで160、国語も社会も150近くとり結局念願の大学進学を果たした。
監督は「ああ・・これでこの生徒は履歴書に大卒と書ける。」と強く思ったなあ。
生徒が中学3年の時、ある大学案内を見せて外国語学部や文学部の話をしたことを思い出す。紆余曲折を経て物語がしっかり成就したと思う。
いつまでも目標をもって走り続けてほしい。 監督