「頑張ってますよ!」しか言わない小学校の先生と塾の関係
レインボーに通って来る生徒の中で数学の補強が必要な中学生が増えている。国語も全学年にわたって劣化しているように思える。読解問題の記述部に白紙回答が増えたし、文章がまともに書ける中学生の方が珍しい。あきらかに学力が劣化している。ここにきて大学入試が変わっていく。書く 考える 思考プロセスを見る方向にすすむ。つまり基礎が整いそれを軸に考えさせる問題に移行していく。
英語も読む、書くだけでなく話せる方向に進む。ますます小学校の英語教育強化が叫ばれているが、そもそも小学校の先生って英語で免許とってるの?堰を切ったように子供達を英語でコミュニケーションがとれるようにするなどという理想を国が追いかけると大きなしっぺ返しが来る。税金も授業枠も使い、さらにALTのような一体どういう資格を持っているのかわからない、少なくとも教師ではない人にお金を払って学校に出入りさせ何を指導しているのだろうか。早晩英語の成績評価もつくという。今のままでは英語教育の質が統一されず子供に余計な負荷をかけ成果無く崩れることになりはしないだろうか。そしてまた議論が蒸し返され「ゆとり教育」の再来、あるいは逆にもっと厳しい施策を招きかねない。古い話だが子供が小学校6年の時、I CAN TENNISと先生から教わった。子供はバイリンガルだから授業の後「先生、動詞が抜けていますよ!」と気を使いながら教師に話したら、「そうね。そうだったわね。もうこのままにしておきましょう。」と答えた。子供から聞いて2人で笑った。結局翌日訂正したらしい。
学力が劣化している一つの理由をあげておこう。それは花丸小学校システムだ。勉強を主軸におかない6年間だ。
そして致命的なことは教師が親にも本人にも本当のことを言わないことだ。
「まったっく割合がわかっていない。まったく通分ができない。全然文章が書けない。読解力の基盤が構築されていない・・」
そううことを一切正面切ってはっきりと親に言わないばかりか、当の子供に「このままじゃダメですよ。今しっかりやっておかないと中学でほらこんなふうに学んでいくのよ・・・ね! がんばりましょう!」と悟らせない。
それどころかよく親から聞く話は「頑張っていますよ!」
「できない問題を努力して何とかできるようにする姿勢は素晴らしいと思います!」
これが中学進学後どういう結果を招くかわかっているのだろうか?そもそも小学校で算数を教える先生方は中学校の数学の教科書を見たことあるのでしょうか????
事実に目をむけない、触れない 言わない、いやわかって敢えて伝えないのは不作為と同じこと。その最大の被害者は生徒だ。もし教師が「私が指導しているころはわからなかった。小5,6のころはとても○○さんはよくできた」と言うのであれば
その教師の目は節穴で教師としての指導力が無いことを教員試験でなく大切な教え子で証明されてしまったようなものだ。そこまでこの国の教育システムが劣化してるとは思えないし、みなさん真剣に務めておられるだろうから、おそらく意図的にきれいごとで済まそうとしているケースがあるのだと思う。さらにわるいことに親は子供の実態を把握できずに教師の「頑張っています」という言葉や花丸のついたドリルを鵜呑みにする。子供まで態度を褒められて習熟度の反省どころか「しっかりやっている。」と勘違いする。
「うちの子どもが算数が得意だと聞いていた」とか「小学時代はしっかり国語ができたのに」と中学生になってボロボロの定期試験をみてその実態に初めて気づく。その悪夢のような結果の原点は小学時代のお勉強の習熟度に起因する。
つまり「態度」でなく「理解度・習熟度」の問題なんですよ!
レインボーは塾だからこんなことを言うのはおかしいけれど、小学校のころからお勉強ファーストでしっかり積み上げれば中学にはいっても自分でやっていける。塾など行かなくとも!!
これまで数百人の大学受験生をみてきたけれど国立大に進むような生徒達は口を揃えて「小学校の時いっぱい本を読みました。」「割合とか分数の計算は結構やりました。」と言う。小学校のお勉強をしっかりした子供は中学校でもお勉強を難無くこなし、そこで身についた中学基礎は大学受験の最大の武器になっていく。
小学校の時、特に算数などは5年6年の内容をしっかりやっていけば特別な受験以外は塾など要らないかもしれない???
追伸!そう思いますがこのままでいつまでもレインボーにみんな来てください。お勉強は塾でしっかりやりませう。成績を激変させてあげますよ!
監督
犬と猫で百分率を学ぶ小学5年生